高野連の歴史

広島県高野連50年の歴史



広島県高野連50年の歴史
2003/01/07
広島県高野連50年の歴史
年 度 加盟校数 出 来 事
1950年 43校 広島県高野連が発足する。連盟事務局を広島観音
高校に移転。高体連野球部から独立し、「基準要
項」に則した規約および役員構成がなされる。

1952年 42校 竹バットの使用許可、ユニホームに守備位置を表
す背番号をつけることになる。

1953年 41校 初めてテレビ放送がなされる。NHKが初めて全
国大をテレビの電波にのせ放送した。

1955年 42校 広島県を広島・呉・東部・北部の4地区に区分す
る。

1956年 42校 広島商業、春夏連続甲子園出場。初のナイターを
行う。

1957年 43校 広島商業が夏の選手権大会4度目の優勝なる。第
12回国民体育大会でも準優勝。

1959年 45校 地区割再編成、広島県「単独県」になり、「広島
大会」と呼称、全国29地区代表となる。
山陽地区大会は発展的に解消し、中国地区大会に
一本化される。

1963年 48校 呉港が24年ぶりに春の選抜大会に出場し、ベス
ト8入りをはたす。

1964年 52校 尾道商業が、春の選抜初出場で準優勝の快挙、第
19回国民体育大会 新潟大会でも準優勝を飾る。

1965年 53校 ハワイ選抜チームが来広、広島市民球状で挙行、
広島選抜が3−2で快勝する。

1967年 54校 広陵が、第49回選手権大会で準優勝を飾る。

1968年 55校 尾道商業と広陵が戦後初の2校選抜出場をはたす
。尾道商業は準優勝、広陵はベスト8進出。

1970年 54校 広陵、第42回全国選抜高校野球大会に2年ぶり
11回の出場、ベスト4へ進出する。

1971年 54校 耳付きヘルメットの使用がこの年から始まる。広
島県高野連で208個を一括購入し、各校に配布
する。

1973年 57校 広島商業、第45回選抜高校野球大会準優勝。
広島商業、第55回全国高等学校野球選手権大会
で5回目の優勝を飾る。
全日本高校選抜チーム韓国遠征、広島商業から7
名が選ばれる。

1974年 57校 金属バットを採用(野球用具の値上がり、ことに
消耗の激しい木製バットの急騰などからみて、ア
ルミ合金による金属製バットの使用が認められた
         今夏の大会から初登場。

1975年 59校 広島商業、第57回全国高等学校野球選手権大会
         13回目の出場で、ベスト4に進出。

1976年 61校 崇徳、第48回全国高等学校野球選手権大会出場          で、好選手を揃えて余裕の初優勝。
         広島県選抜高校野球チームが、フィリピン・台湾
         へ派遣。

1977年 64校 ハワイチーム来広、日米親善高校野球広島大会          (於:広島市民球場)5−5(7回日没引き分け)

1979年 68校 春秋の県大会出場校数を32と倍増される。

1980年 72校 広陵、第52回選抜高校野球大会に出場、ベスト
         4の成績を残す。広陵、第62回回全国高等学校
         野球選手権大会出場に出場し、ベスト8の成績を
         残す。
         「広島県高野連創立三十年記念誌」発刊。三次市
         営球場を連盟公認球場として使用。

1981年 76校 全国高等学校野球選手権大会広島大会において、
         この年より、広島市民球場(広島地区・呉地区加
         盟校参加)での開会式に加え、福山市民球場・三
         次市営球場で開始式が行われ、加盟校全チームが
         開会式・開始式に参加する制度を評議員会で決定
         した。
         秋季県大会より、加盟校2校に1校の割で出場さ
         せる制度を実施。

1982年 77校 尾道商業、第54回選抜高校野球大会に出場。ベ
         スト8の成績を残す。広島商業、第64回全国高
         等学校野球選手権大会準優勝。広島商業、第37
         回国民体育大会で31年ぶり2回目の優勝。
         「高校野球責任教師の手引き」発刊。県外選手登
         録人数制限(5人枠)を申し合わせ事項として決          定。

1984年 84校 近大福山・広陵、第56回選抜高校野球大会にア
         ベック出場(40回大会以来2度目)
         日米親善高校野球広島大会開催、カリフォルニア
         州選抜と対戦(12対11逆転勝)
         竹原電発グランドを選手権広島大会で使用。県下
         6球場となる。

1985年 85校 試合開始前、審判委員によるヘルメット・バット
         など、野球用具の安全点検を実施。

1986年 88校 尾道商業・広島工業、第58回選抜高校野球大会
         にアベック出場し、両校ベスト8に入る。
         選手権広島大会において、33ホーマの新記録を
         達成する。指定旅館が甲陽園の「○長旅館」とな          る。

1987年 91校 春季県大会より、出場校数を42校から32校に
         変更。選手権大会に、御建公園野球場を初使用。

1988年 93校 広島工業・西条農業、第60回選抜高校野球大会
         にアベック出場。
         広島商業、第70回全国高等学校野球選手権記念
         大会に15年ぶり全国制覇。3958校の頂点に
         立つ。広陵高校軟式野球部も全国制覇。硬軟二冠
         を達成。
         第70回記念大会は、全加盟校が広島市民球場で
         総合開会式を行う。高校野球列車の運行。
         広島県一年生野球大会始まる。

1989年 94校 広島工業、第61回選抜高校野球大会に初出場し、         ベスト8入り。
         ボールボーイ・バットボーイの危険防止のため、
         ヘルメット着用。
         大分・広島・愛媛、高等学校親善野球試合を実施。

1990年 94校 山陽、第72回全国高等学校野球選手権大会に初
         出場、ベスト4に入る。

1991年 94校 広陵・瀬戸内、第63回選抜高校野球大会にアベ
         ック出場。広陵が優勝。瀬戸内ベスト8。消音バ
         ット採用。

1992年 95校 広陵・広島商業、第64回選抜高校野球大会にア
         ベック出場。
         選手権広島大会の開会式は雨天のため、東区スポ
         ーツセンターで行う。

1994年 98校 「野球部員証」発行。

1995年 99校 春季県大会のベスト8を選手権大会のシード校と
         することを決定。4地区より6地区(広島西・広
         島東・北部・呉・尾三・福山)に編成替え。両耳
         ヘルメット採用。三県親善試合はこの年をもって
         幕を閉じる。
         春秋県大会出場校を32校から40校に増やす。

1996年 99校 高陽東、第68回選抜高校野球大会に出場、初出
         場でベスト4。高陽東、第78回全国高等学校野
         球選手権大会に出場、ベスト8。またこの年、第
         51回国民体育大会(ひろしま国体)が行われ、高
         陽東が準優勝した。

1997年 98校 この年から県外選手登録人数の制限撤廃。ボール
         カウントが、ボール先行となる。タイム回数の制
         限が実施。
         県内の大会で、5回終了時にグランド整備を行う。

1998年 99校 第80回全国高等学校野球選手権記念広島大会は
         、全校が総合開会式(広島市民球場)に参加。
         アナウンスは高校生放送部員(男女各1名)が務
         めた。

1999年 98校 第81回全国高等学校野球選手権広島大会の開会
         式のアナウンスは、昨年に続き高校生放送部員が
         勤めた。始球式は、中学生野球部員が務める。雨
         天順延により、準決勝・決勝戦は会場を県営球場
         に移し開催する。優勝は、3年連続で如水館。
         野球の国際化に伴い、審判の基本動作にクロック
         ワイズメカニクスが導入。インサイドプロテクタ
         ー(球審)の使用が認められる。

2000年 99校 広島県高校野球連盟が、連盟創立50周年を迎え
         る。記念行事として、「記念祝賀会」「招待試合」
         (広島市民球場にて大阪府PL学園を招いて開催。
         如水館・高陽東が対戦)「広島県高校野球50年
         史」の発刊。第82回全国高等学校野球選手権広島
         記念大会で、出身中学校名と校歌の放送を実施。
         広陵高校軟式野球部が3回目の全国制覇を達成。
         瀬戸内・広陵軟式野球部の硬軟とも国民体育大会に
         出場。県高野連のホームページを11月に開設す
         る。

2001年 98校 野球部指導者のために「責任教師必携」を作成、
         「新任部長研修会」を実施(講師:畠山圭司)
         県内の試合で、ベンチ入り選手を20名とする。6
         月のハワイ選抜チームと県選抜チームとの試合は雨
         のため中止。第83回全国高等学校野球選手権広島
         大会で、勝利校が主審から勝利ボールを受け取り、
         本塁前に整列してテープとともに校歌を歌う。開会
         式のブラスバンドに高校生の吹奏楽部を起用。
         秋季大会より金属性バットの規制(太さ67mm
         以上・重さ900g以上)。甲子園出場校の指定宿
         舎をホテルオークス新大阪に変更。
2002年 97校 春・秋県大会出場校を40校から44校に増やす。
         尾道市にびんご運動公園野球(しまなみ球場が完成
         し、秋の中国大会の会場として使用した。崇徳高校
         が国民体育大会高校野球軟式の部において優勝。